カヤック日記


2017年2月の出来事



今月も海はよく時化ました。
時化は「しけ」と読みますが、思い返してみると私が「しけ」を使い慣れてしまったのはいつ頃からだったのか思い出せません。
カヤックを始めてしばらくは「(海が)荒れてる」と言っていたと思います。
そもそもどれくらいの荒れ方が時化でどこからが凪なのか…自分の感覚的なものを、伝達を目的とする言葉にするときの不明瞭さが「時化」や「凪」を使うことに抵抗を感じさせていたような感じがします。
まあ考えすぎだったわけですが、「今日は時化てるよ!」と電話で海が見えないところにいる人に海の状況を伝える事の曖昧さはかなりのものです。
電話の向こうの人にとっては「こんなの時化てるうちに入らない」という海況かもしれません。
時化が不漁も意味するということは「時化=海に出られない」という事なのだとすれば、カヤッカーにとっての時化は人それぞれの耐候性や技術量や体力によって一定ではないということになります。
もし「風速15m/s以上、もしくは波高5m以上を時化」と定義したとしても、15m/sで漕げるカヤッカーは時化てないと言うのかもしれませんね。
気象庁の波浪表では波高4-6mで「しけ」、6-9mで「大しけ」、9m以上で「猛烈にしける」とされていました。
しかしカヤッカーは波高だけで海に出られるかが決まるわけではないのは皆さんよく知っていることです。
…長くなりましたが、つまりそういう事なので人によっては「今月はたいして時化ませんでした。」という文頭にも出来たのかもしれませんね。

写真:岬の陰で風とウネリを凌いでいるカモメ類。富浦沖。背景に微かに見えるのは浮島。もちろん岸からの撮影です。




















写真:岬の陰で風とウネリを凌いでいるカモメ類。富浦沖。背景に微かに見えるのは浮島。もちろん岸からの撮影です。

海鳥の耐候性も種によって様々です。
個体差は人ほど無さそうですが、私はカモメたちが港や風を避けられる海岸で小さくなって密集して群れていると「時化だな〜」と感じます。(時化てなくても群れていることはありますよ)
海の状況を人の状況や数値でなくて、海鳥でランク分けしてみたらどうでしょう。
例えば「普通の飛翔能力のウミネコが港に群れで避難している=しけ」、「泳ぐのが得意なウミウが水面に浮かぶことができず泳いでいない=大しけ」、「飛翔能力の高いミツユビカモメが港に避難している=猛烈なしけ」とか定義したら面白そうですね。
しかし今月はカモメ類が大きな混群を作って風を避けているところがなかなか見つかりませんでした。
大きくても300羽程度で、とても数えきれない…というカモメだらけという空間は見られませんでした。
猛烈だった春一番、二番など、あまりに南西風が強すぎて南に突き出した半島である房総半島の、その南端にあたる南房総ではほとんどのカモメ類が風下である北東方向に流されて行ってしまったのではないかと思ってしまったほどです。

だとすると勝浦から銚子などにはたくさんのカモメがいたのかもしれませんね。
でもそう考えたなら風上の南西の海岸から南房総へ流されてくるカモメたちもいたはずで…。
ユリカモメなどはかなり内陸の川にいたりもして、以前私は東京の板橋の川に沢山のユリカモメを見たことがあります。
他の大型のカモメ類も房総内陸のダム湖などに密かに降りたったりしているのでしょうか?
彼らもそろそろ繁殖地に北上してしまう季節になりますのでカモメウォッチングは今シーズンはもう終わりかなという感じです。
しかしもっと南にいた個体達が北上する際には南房総に立ち寄って、中には珍しい種類も交じっていたりと、きっと楽しませてくれるでしょう。

風の中を飛ぶユリカモメ。




















写真:風の中を飛ぶユリカモメ。

今月のニュースで「古代の巨大ペンギン、恐竜と共存 NZで発見の化石で判明」というのがありました。
恐竜から鳥が発生したという事がわかっているのですが、どのように鳥になっていったかが分かっていない中で、鳥の始まりはペンギンだったかもしれないという可能性が高まったということになるようです。
ペンギンは飛べない鳥ですが、泳ぐのはどの鳥よりも得意です。
というか鳥なの?というくらい泳げます。
その翼の形ははまさにウミガメやクジラのそれで、水を扱うためのデザインをしています。
パドルやラダーを使い慣れているシーカヤッカーにとって、それはまさに鰭という形で、翼には見えません。
ペンギンやウミスズメを見れば、羽搏くということが水の中で推進力を得るのにも使え、ほぼそのままの動きで飛ぶことにも使えたということは確かです。
また恐竜の子孫としての鳥が地球全体に繁栄したことに何より貢献しているのは翼を持った事だということも一目瞭然です。
ただ水中から空中なのか、空中から水中だったのか?という事ですね。

ウミウ。




















写真:ウミウ。

以前Kayak誌で「鳥は海で進化した?編」を書いたのですが、ウミスズメやウミウなどのように潜水に長けていながら鳥の特徴である飛翔の能力が弱い鳥を見ていると、むしろこっちが祖先に見えてくるという内容でした。
カヤックに乗って、間近でその水に馴染んだ形や行動を見ていると、ウミスズメやウミウのように潜水して魚を捕る鳥が、水面を走りながら羽搏きながらもなかなか浮き上がれない不器用な姿はまだ飛ぶ事に慣れていない鳥たちの祖先のように見えてくるのです。
潜水をするペンギンの次にウミスズメのような羽搏きで泳ぎも飛翔もできるタイプが出てきて、少しずつ飛ぶ距離を延ばせば飛べるというだけで地上生活に有利になって、海に頼らずにも暮らせるようになった…のかも???という想像というか妄想ののような記事でした。
まあ、そういう事だったら面白いですね!というレベルで書いたのですが、ペンギンの祖先が恐竜時代にいたとなるとペンギンこそ現在の鳥の祖先で恐竜との合間にある存在だったりするのかもしれないとワクワクしました。
単純に言えば、地上で飛ぶのを練習するよりも水上で練習する方が落ちた時に痛みは少ないし、水掻きを覚えてから空気掻きを覚える方が覚えやすいのではないかな?ということです。

魚をめがけて水面に突入しようとするミサゴ。




















写真:魚をめがけて水面に突入しようとするミサゴ。

あとはクチバシです。
「鳥の祖先が恐竜」と聞いてクチバシはどういう経緯で出来上がったのだろう???と疑問を感じます。
翼よりも何よりもクチバシが鳥の最大の特徴なのではないのかな?と思うほどです。
去年、ウミネコに絡んだ釣り糸を解いた時にはそのウミネコにさんざん手を噛まれましたが、全く痛くなく、我々が箸でものを掴む時程度のものでした。
この程度の力で魚を咥えているんだと知って驚きましたが、箸も上手に使えばかなりの重さのものを掴めますね。
しかも滑りにくいという利点があります。
魚を掴むには最適です。

館山湾に入って来た潜水艦と漁船の群れ。人の乗り物も水を掻くことを覚えてから空を目指しました。




















写真:館山湾に入って来た潜水艦と漁船の群れ。人の乗り物も水を掻くことを覚えてから空を目指しました。

だからクチバシは海鳥が魚を「持つ」ために備わった装備なのだという想像を記事中でしていました。
またいわゆるクチバシ型の口はイルカやダツなどの魚類捕食者にも備わっている特徴的な口の形です。
我々人や恐竜のような口で水中で餌を咥えようとすると一旦開けた口の中に水が入ります、そこで餌を吸い込んだとしても水ごと飲み込むのでなければ口を閉じる際に餌は水と一緒に出て行ってしまうんですね。
「せっかく口に入ったのに…」悔しい場面です。
口から流れ出てしまうのを防ごうと必死に進化した結果、上下の顎を箸としたわけですね。
ちょっと違いますけど、ワカメの味噌汁をスプーンで食べてみると分かると思います。
箸はなんて楽にワカメを摘めるんだろう!と。
スプーンの場合では掬おうと思っていない味噌汁と共にワカメは口に運ぶ前にお椀に滑り落ちてしまいます。(上手に掬う人もいると思いますけれど…)

横浜の街を背景に魚を食べているミサゴ。人と同じく高いところが好きなようです。




















写真:横浜の街を背景に魚を食べているミサゴ。人と同じく高いところが好きなようです。

少なくとも魚の捕食者は水を一緒に飲むのは防ぎたいでしょうから最初から口に入る量を最小限にしたでしょう。
その点、魚に備わっている鰓は素晴らしい装備でした。
ヒゲクジラはそれを少し参考にしたかのように、まず水ごと魚を飲むことにして水は濾過する方法を採用しました。
もしペンギンがクジラのヒゲや、魚の鰓のようなフィルターを備えて魚を食べることに対処していたらと想像すると面白いです。
ヒゲクジラの口や鰓を鳥の顔に当てはめて想像するとなかなか可笑しな生き物になってしまいますね。
しかしそういう進化をした生き物が自分が生まれた時からそこにいればそれが普通だったわけで、可笑しいとも面白いとも思わずに鰓の付いた鳥を見ていたかもしれないのです。
鳥が濾過摂食の進化を進めていたら飛びながら大きな口を開けて飛翔する昆虫類を食べていたりしたかもしれない…と妄想が止まりません。

伊豆大島に今年も雪が積もりました。




















写真:伊豆大島に今年も雪が積もりました。

「仮説」というような硬いものでなく、自由に想像してみるということをしにくい時代です。
教科書や辞典、図鑑、今ではインターネットで検索して結論を話すだけでなく、少なくとも子供にはもっと自由に想像することをさせてあげたら良いのではないかな?と思います。
この世界はすべて答があるようで、実は分かっていない事だらけなのですから、想像を楽しめないとなると、同じ読みになりますが創造する能力が下がってしまって、ますます本当のことを見つけ出す能力が下がっていってしまうのではないかという気がしています。
私はKayak誌では自由に書かせて頂いているので、「鳥は海で進化した?編」のように私の思うままの想像を書かせてもらう号もあります。
こんなスペースを得られ本当にありがたいことですが、読者の方から怒られないかな???と思ったりもします。
それでも、今回のようにもしかしたら本当にそうだったのかな?という出来事が起きると妄想も悪くないなと思います。
ぜひ皆さんも海で海の生き物に出会って動くその姿を眺めて、既知の知識を忘れてその生き物について想像を膨らませてみてください。
きっと何か新しい発見があると思います。

参考

「古代の巨大ペンギン、恐竜と共存 NZで発見の化石で判明」2017年02月24日 06:10

「kayak〜海を旅する本」Vol.47


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